「ぼっちで馬鹿にされて、悩んでいる…」
こんな風に思っている人、いるんじゃないでしょうか?
結論、全く気にしなくて問題ありません。
正直なところ、ぼっちは悪いことでもないし、メリットだってあります。
私は、ぼっちではありませんが、友達が少ないです。
友達と頻繁に遊ぶこともないし、一人で行動することも多くあります。
昔は「ぼんは友達ほとんどいないからなぁ」と馬鹿にされたこともありましたが、今では強がりでなく、全く気になりません。
今回はぼっちを気にしている人に対して、気にしなくてもいい理由を紹介していきます。
こんな人に対してこの記事はおすすめです。
- いつも学校で一人で過ごしてると馬鹿にされる
- 友達ほとんどいないけど、このままでいいのかな
- 一人が好き、別に人とつるみたいわけじゃないけど、周りの目が気になる
それでは順番に見てきましょう。
※なお、この記事はあくまで私の主観に基づいて書いている記事であり、学校教育や先生方、指導方針等を非難する意図は全くありませんので、ご容赦ください。
なぜぼっちは馬鹿にされるのか
まずはなぜぼっちだと馬鹿にされるのか、見ていきましょう。
ぼっちを見て馬鹿にしている人が何を考えているのか、それは本当にあっているのか、考えていきます。
ここの理由を見ていき、「本当に馬鹿にされるほどのことなのか?」と思えてくると思うので、ぜひ見ていってください。
大抵の人は群れたがる
人は大抵群れて行動しがちです。
狩猟採集時代、人間も群れで生活していて、群れに属することで生きてきました。
野生動物の襲撃に備えたり、集団で狩りを行うことで効率的に食料を入手したり。
群れによって長期間生活してきたことの習性は、今も私たちの中に残っており、群れることで安全・安心を手に入れているのです。
群れを作る力が強い人、群れにちゃんと属せる人からすると、ぼっちは群れに所属できていないダメな人間に見えているんでしょう。
昔だったら、一人でふらふらしていると、外敵に襲われてしまいますからね。
ただ、現代は気にしなくていいと思います。
現代は群れで行動せずとも、十分生きていけます。
後に詳しく解説します。
ちなみに、体育会系の人もよく群れを作るので、興味がある人は過去記事を読んでみてください。
グループを組ませる学校教育
例えば、体育の授業や、校外実習ではグループを作ってもらうよう、教員が呼びかけます。
ここでぼっちは余ってしまって、組み合わせに入れないことがあります。
こういった事態になると、ぼっちの人を見て、
「あいつ、グループ作れてないw。かわいそうw」
などと思う人が出てきます。
こう思う人にも問題がありますが、グループを自分たちで作らしている以上、グループに入る能力が低いぼっちが余ってしまうのは仕方ないことです。
これは学校でのやり方に問題があります。
正直、少し考えればこうなることは目に見えているので、教員側がグループを決めてあげるべきです。
そうしなければ、ぼっちが目立ってしまうのは必然です。
何かと集団行動させる学校教育
次も学校教育になりますが、私たちは小さいころから集団行動をさせられてきました。
先ほどのグループに加え、部活動や学校行事でも集団行動があります。
- 皆で一致団結して、体育祭で優勝する
- 皆で練習して、合唱コンクールで入賞目指す
- 皆で協力して、文化祭をいいものにさせる
こういったことは学校教育でよく見られます。
当然、集団行動は大切だし、皆で協力してやり遂げる経験は、思い出に残ります。
ただ、集団行動できることに対して、重きを置きすぎている気がしなくもありません。
正確には、集団行動が苦手な人に対しての扱いが良くないと考えます。
集団行動ができない人は、「非協力的で自分勝手」といったレッテルを張られてしまって、生徒だけに収まらず、教員からも冷たい目で見られてしまいます。
ここで教員が、「集団行動が苦手な人がいる」といったことを認識して、手立てを立ててあげればいいんですが、教員みんなができているわけではありません。
生徒からも教員からも認められていない状況のため、ぼっちはますます加速してしまい、馬鹿にされがちになってしまいます。
楽しそうに見えない
ぼっちって何となく、
「いつも一人で何考えてるかわからなくて、あまりしゃべらない変な奴」
と思われていますよね。
ぼっちは周囲からすると全く楽しそうに見えないので、人生損してると勝手に思われている可能性があります。
「人生楽しんでいないあいつ、ダメじゃん。何の努力もしてないだろうし。」
こんな風に思って、ぼっちを馬鹿にする人が出てきます。
ただ、ぼっちはぼっちで楽しんでいることがあります。
皆といるときに楽しめる人が楽しんでいるように、ぼっちの人はぼっちの人で、一人の時間を存分に楽しんでいる人がいます。
一人で本を読む、絵を描く、ゲームする、考え事するなど…
一人での楽しみ方を知っているから、特に群れなくてもいいと思っているぼっちもいるので、一概にぼっちが楽しくないと思っている人は考えを改めてほしいですね。
ぼっちでも問題ない理由
ここまで、ぼっちが馬鹿にされてしまう理由について紹介しました。
ただし、正直なところ、ぼっちであっても特段問題ありません。
確かにぼっちはデメリットも存在します。
コミュニティから情報が入ってこない、交友関係が広まらない、価値観が偏るなど…
ただ、このデメリットを補う程度のメリットも存在しています。
ここからはぼっちであっても問題ない理由を紹介してきます。
自分の時間を持てる
これが最も大きなメリットであると私は思っています。
ぼっちは誰かと群れることがないので、群れている人よりも、自分の時間を多く持てるようになります。
今の時代、自分の時間をたくさん持てることは大きな利点になります。
- 自分のやりたい趣味に集中できる
- スキルアップのための勉強時間ができる
- 人に振り回されず、自分の好きなことができる
どうですか?
人間関係に苦しんでいる人からすると、すごく羨ましいように見えませんか?
自分のやりたいことを突き詰めることで、やりたいことでお金を稼ぐことができるようになったり、会社に属さず生きていくこともできるようになります。
昔は「ぼっちのオタク」はただの社会不適合者のように扱われましたが、現代はそうではありません。
むしろ、専門的な知識や技術があることで、他の人よりもいい条件で働くことができるようになったり、嫌な組織に属す必要もなくなります。
また、一人でいる時間は自分を見つめる良い時間になります。
自分を見つめることで、自分の考え、やりたいこと、目標など、自己理解に励むことができます。
一人の時間で自分を見つめることで、より自分を知ることができ、自分の人生の方向性を決めていくことができるでしょう。
あえて一人の時間を作って、自分の時間を持つこともいいでしょう。
メリットも多いため、ぼっちを気にする必要もありません。
自分の考えを持てる
ぼっちは周りと群れない分、自分の考えをしっかりと持つことができます。
群れている場合、周りのメンバーと考えが違っていると、自分の考えを持っていても、伝えることができなくなる場合があります。
それどころか、自分の考えは間違っていると思い込み、自分の意見が書き換えられてしまうこともあります。
その経験が繰り返されてしまうと、自分の考えに自信が持てなくなってしまい、自分の考えを持つことを放棄してしまうことにつながってしまう恐れがあります。
自分の考えを持てなくなってしまった暁には、人生を楽しめなくなることだってあります。
ちょっと極端な話をしましたが、自分の考えを持てなくなることは、これほど大きな影響があることです。
ぼっちは一人で過ごすことが多いため、自分の考えは自分の考えとして受け入れて過ごすことができるでしょう。
人から否定されることも少なく、自分は自分と割り切って生活をしているぼっちも多いです。
自分の力でやり遂げる力が身につく
当然ですが、ぼっちは一人で行動することがほとんどです。
そのため、誰かに助けてもらうこともほとんどありません。
その代わり、全て自分で解決する必要があるため、自分の力でやり遂げる力が身に付きます。
集団で行動すると、苦手なことは人に頼んだり、協力したりして、解決しようとします。
ただ、言い換えると、自分一人では解決できないとも言い切れます。
学生時代では、誰かが試験の過去問を調達してきたり、ノートを写させてもらったりして、試験対策をした人もいるはずです。
こういった人は、他の人の力を借りないと何とかできない人です。
必ずしも悪いとは言いませんが、一人で解決した人よりも、解決する力は後々劣ってくることは必然です。
反対に一人で解決してきた人は、その時は苦労して、効率も悪かったかもしれません。
ただ、そういった経験を繰り返すことで、一人で解決する力が身に付き、困ったことがあっても人に頼らず何とかすることができます。
困った時も、一人で解決してきた経験が生き、「自分は頼れる人間」と自信をもって行動することができるでしょう。
人間関係で悩まない
これはぼっちを気にしている人だと、悩んでしまいますが、気にしていない人は人間関係で悩まなくなります。
人間の悩みのほとんどは人間関係です。
- 惰性で付き合ってる友人がいるけど、実は会っても楽しくない
- 周りの友人は会社で地位を築いているのに、自分は全然…
- 職場の同僚から心無い発言をされて、不快な気持ちになった
ぼっちは周りと関係を持つことがほとんどないため、人間関係で悩むことは少ないです。
考える時間は群れている人なら、人間関係に悩んでいる時間が長いですが、人間関係が少ない人はこの時間は最小限になります。
人間関係をゼロにする必要はありませんが、関わりを持つことで悩むことが多いならその人間関係は見直してもいいでしょう。
ぼっちを気にするのは学生時代まで
今学生の人で、ぼっちで辛いと思っている人に伝えたいのは、
「ぼっちを気にするのは学生時代まで」
ということです。
学生時代はとにかく群れを作って、何かと集団を作ろうとします。
休みの日も一緒に遊んだり、何かと交流持とうとしたり、イベント開催したり。
皆との会話は、休みの日に〇〇と飲みに行ったとか、旅行に行ったとか。
一人で図書館に行ったとか、絵を描いてたとか、パソコンいじってたとか言うと、寂しい人扱いをされます。
集団から外れた人間は、ぼっちとして馬鹿にされますが、それは学生時代までです。
社会人になると、休みの日に誰かと遊びに行くなんて人はかなり減ってきます。
大抵は、一人で家で過ごしたり、家事をしたり、年数が経っていくと家族と過ごしたり。
学生時代の友人とは休みや予定も合わなくなるし、職場の同僚とは仲いい人以外は休日にわざわざ会いたくない人も多いです。
仕事中も、外交的な人は周囲から好かれる傾向にありますが、最低限のコミュニケーションはしっかりとっていれば、ぼっちだからといって馬鹿にされることもほとんどありません。
仕事中なので、そこまでみんな暇じゃないですからね。
今学生でぼっちで辛いと思っている人も、社会人になるとどうでもよくなるので気にしなくていいです。
一人でも人生は楽しめる
今回はぼっちでも気にしなくてもいい理由を紹介しました。
話する人が全くいない、誰とも会話をしないといった人はごくまれだと思いますが、一人で過ごすことが多い人にもためになる記事になったんじゃないでしょうか?
日本は集団意識が強く、集団から外れた人に対して風当たりが強いです。
ただ、皆と同じ行動をすることが必ずしも正しい行動とは限りません。
あえて一人の時間を設け、自分の頭で考え、自分の出した答えの通り生きていくことが、自分にとっては正しい行動となることもあります。
周囲の意見を聞くことも大切ですが、最終的に決断するのはあなたです。
ぜひぼっちの時間も大切に、あえて確保してみるのもいいでしょう。
今回の記事が、一人で過ごしていることを気にしている人に、一人を気にせず、のびのび生きていけるようになることを祈っています。